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東京高等裁判所 昭和34年(行ナ)5号 判決 1960年8月03日

原告 日本国有鉄道 代表者総裁 十河信二 外一名

訴訟代理人 木村篤太郎 外五名

被告 高等海難審判庁長官 増田一衛

指定代理人 青木義人 外五名

主文

原告等の訴を却下する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は、高等海難審判庁が同庁昭和三十一年第二審第三号汽船洞爺丸遭難事件につき昭和三十四年二月九日言渡した「本件遭難は、洞爺丸船長の運航に関する職務上の過失に基因して発生したものであるが、本船の船体構造及び青函連絡船の運航管理が適当でなかつたこともその一因である、」旨を主文とする裁決はこれを取消す、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、被告訴訟代理人は原告等の訴を却下する、訴訟費用は原告等の負担とするとの判決を求めた。

原告等訴訟代理人の事実上及び法律上の陳述は、別紙訴状請求の原因の項及び昭和三十四年七月十日附準備書面記載のとおりであり、被告訴訟代理人の答弁は、別紙答弁書の理由の項及び昭和三十四年八月十四日附準備書面記載のとおりである。

理由

当裁判所は、本件裁決は訴訟の対象たり得べき行政処分に当らないものと判断する。その理由は以下のとおりである。

一、訴訟の対象となし得る行政庁の行為の範囲

裁判所法第三条によれば「裁判所は日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する」ものであり、ここに「法律上の争訟」とは法令を適用することによつて判決し得べき権利義務に関する当事者間の具体的な紛争をいう。

すなわち司法裁判は具体的な権利義務の紛争について法令を適用してその法律関係を明らかにする作用であり、具体的な権利義務その他法律関係の紛争に当らない事件は特別の規定がない限り訴訟の対象とならない。

行政庁の行為の違法を主張してその取消を求める訴についても同様であつて、その行政庁の行為が具体的な権利義務その他法律関係の変動を伴うものであり、その行為の効力を争うことによつてかような権利変動を争う場合には、そこには法律上の紛争が存在するから右行政庁の行為の取消を求める訴を提起することができるけれども、行政庁の行為が単なる事実上の行為である場合、(事実上の行為ではあつてもこれによつて直接に権利関係の変動を生する結果となる関係上法律上の行為と同視しなければならない場合があるとすればその場合を除く。)或は単なる勧告、事実の通知、意見の表明等に過ぎない場合等これによつて権利変動を生じない場合は、その行為を争うこともまた権利関係の紛争には当らないのであるから、その行為の取消を求める訴訟を提起する余地がない。たとえかような権利変動を生じない行政庁の行為が処分、決定、裁決等の形式を以てなされた場合でも、結論を異にするものではなく、これに対し出訴を許す旨の特別の視定がない限り、これが取消の訴を提起することはできない。

これらの行為であつても、それが法律関係を定める前提となる場合には、裁判所はこれを調査し、行為自体の成立不成立や、その行為の法律上の要件の存否を判断することがあるけれども、それは裁判の前提としてなす判断の過程に過ぎないのであつて、裁判所がこのような判断をなすことがあるということから直ちにそれを独立の訴訟の対象となすことができるという結論を引き出すことはできない。

例外として例えば法律関係を証する書面の真否が確認の訴の対象とされ(民事訴訟法第二百二十五条)、条例の制定改廃の請求者の署名に関する決定に対する出訴もできるけれども(地方自治法第七十四条の二第八項)、これらはそれぞれ特別の規定により特に明文を以て許されているから可能なのであつて、このような法令上の根拠がない限り権利変動を生じない行政庁の行為に対しては、その取消を求める訴を提起することができない。

二、高等海難審判庁の裁決に対する出訴についての規定

現行海難審判法によれば、地方海難審判庁の裁決に対しては訴を提起することができないことを規定しているけれども(第五十三条第四項)、高等海難審判庁の裁決に対しては出訴の許否について規定を設けず、そして出訴する場合の裁判管轄、出訴期間、被告適格、執行停止、判決等について規定を設けている(第五十三条ないし第五十六条)。すなわち高等海難審判庁の裁決に対し出訴できる場合のあることは法の当然予想するところであるが、いかなる場合に裁決に対して出訴できるかについては法は沈黙しており、出訴の許否に関する一般原則を排除して一般原則によれば出訴できないはずの裁決に対してもなおかつ裁判所に出訴できる趣旨を定めた規定は設けられていないし、海難審判法の規定全体を通覧してもかような趣旨は見出し難い。従つて高等海難審判庁の裁決に対していかなる場合に出訴できるかの問題はこれを一般原則に照して定めなければならない。

三、海難審判の性格と出訴の許否

現行海難審判法は、それ以前の海員懲戒法が海員を懲戒することを目的として立法されたのと異り、審判によつて海難の原因を究明しその発生の防止に寄与しようとする見地から立案されている。すなわち旧海員懲戒法の下では海員の懲戒に必要な限度においてのみ海難の原因が審査され、海員の死亡その他の理由で懲戒の必要がないときは、いかに重大な海難でもこれを審査することがなかつたところ、海難審判法は、右の制度を改めて、海難審判の目的を直接に海難の審査に置き、海員の懲戒の要否に関係なく海難の在るところ必ずその原因を明らかにすべきものとしたのである。かくして旧時の海員審判所が海員懲戒機関であつて海員の法律上の責任につき判断をする機能だけを営んでいたのに対し、現在の海難審判庁は海難についての関係者の責任の有無にかかわりなく海難の原因を審査究明する調査機関となり、ただその結果海難が海技従事者又は水先人の職務上の故意又は過失に因つて発生したものであることが判明したときは、更にその者を懲戒しなければならないものとし、その限度において海員懲戒機関としての機能をも併有することとなつたのである。

この懲戒の裁決は、懲戒を受ける者の法律上の地位に不利益な変動を生じさせるものであるから、明らかに訴訟の対象となるべき行政処分であり、訴訟の一般原則に従い当然司法裁判所に出訴することができる性格を有し、それは憲法の保障するところでもある。海難審判法中、裁判管轄、出訴期間、被告適格、執行停止、判決等に関する規定は、正にこの場合にその適用を見ることになる。これに反して海難の原因を明らかにするだけの審判(以下、原因裁決という)においては海難の原因を明らかにするため、それが人の故意又は過失に因つて発生したものであるかどうか及び船体若しくは機関の構造、材質若しくは工作又は船舶のぎ装若しくは性能に係る事由に因つて発生したものであるかどうか等の点にわたつて海難の原因を探究すべきことは法第三条の規定するとおりであるけれども、それは関係者の責任追求のためだけのものではなくて海難の原因を明らかにする手段に過ぎないことは右条項その他法全体の趣旨から明らかであり、海難審判庁は、いやしくも海難が発生して審判開始の申立を受けた以上、たとえ海技従事者又は水先人の全部が死亡して懲戒を受くべき者が存在しない場合でも、又利害関係人間に和解が成立しもしくは裁決をまたず不法行為責任等に関する民事判決が言渡されて確定し、もはや関係者間の法律関係を論議する余地のないことが明らかな場合でも、なおかつ原因裁決によつて海難の原因を明らかにすべき職責を免かれることができない。このように原因裁決は関係人の法律上の責任を宣言するためのものでないことは明らかであり、従つてそれは訴訟の対象となる公法上の法律関係に関するものには該当せず、訴訟の一般原則に照し、かような原因裁決に対しては出訴を認めることができない。

以上の見解は海難審判と司法裁判との本質を考慮した上の結果であつて、行政事件訴訟特例法の解釈の結果ではなく、従つて原告主張のように海難審判法施行の日が行政事件訴訟特例法施行の日より前であるということは、右結論には関係がない。

四、原因裁決による事実上の不利益について

海難が人の故意又は過失に因つて生じたものであることが裁決を以て明らかにされたときは、これによつてその人の債務不履行上、不法行為上の責任を明らかにする上に事実上一歩を進めることにはなるけれども、これらの法律上の責任の存在を是認するためには更に他の法律要件を明らかにすることを要するのであつて、原因裁決によつて直ちに法律上の責任が確認されるものではない。海難が特定の人の故意又は過失によつて生じたものであることが高等海難審判庁の裁決の主文において示された場合には、高等海難審判庁の裁決が一般に権威のあるものとされている以上、これによつてその者が多大の不利益を感ずることにはなるけれども、その不利益は本来事実上の不利益で法律上の不利益には当らない。すなわち裁決における右判断は当然その者に民事上その他法律上の責任を生じさせるものではない。その者が右過失を理由として他から損害賠償の請求を受けた場合にも、その請求を排除するための一切の手段は右裁決によつてすこしも妨げられるものではない。原因裁決を援用してかような請求権の存在を主張する者に対しては、単に請求を拒否するのみならず進んで原因裁決の不当を主張し積極的に債務不存在確認の訴を提起して過失の存否につき司法裁判所の判断を求めることもできる。損害賠償の請求が裁判上なされた場合にも裁決において過失ありとされた者は無過失を主張し被告として一切の防禦手段を尽すことができるのであり、裁判所が過失の有無を判定するには裁決の主文にも理由にも拘束されることなく、故意、過失の構成要件の個々について自ら検討を加えて独自の見地から事実を認定し法律上の判断を下すものであり、裁判所が事実の調査を省略し、裁決の内容を検討することなくその結論だけをそのまま採用して過失を認定するようなことは考えられない。原因裁決は訴訟における当事者の立証責任の所在にすら変動を生じさせることがない。

海難原因の探究には専門的技術的知識を必要とすることが多いため、その審理についての専門家を以て構成された海難審判庁の裁決が、客観的事実における因果関係の究明につき権威あるものとして一般に尊重されることは否定し難いけれども、それすら裁判所の判断を拘束するものではなく、まして確定した事実関係の上に立つて人の故意過失の有無や施設管理の瑕疵が民事刑事の責任を生じさせる程度に達しているか否か等を判定することは、法律上の価値判断であつて、司法裁判所が法全体の価値体系に従い衡平に判断すべき事項であり、海難審判庁の原因裁決は、なんらこの点を確定するものではない。

このように人の故意過失を肯定した原因裁決も、その人に事実上の不利益を及ぼすことはあつても、その法律上の地位にはなんら影響するところがない。事実上の不利益はそれがいかに大であつても、他に特段の事由がない限り、それが大であるということから直ちに法律上の不利益に転化するものではない。

以上のように原因裁決が人の権利義務その他法律関係に変動を及ぼすものと解せられない以上、右は取消訴訟の対象となるべき行政処分に該当しないものというべきである。

五、「過失が法律上の概念である」との主張について

人の過失を判定することは法律的判断を伴うものであり、又過失という概念は法律上使用されているけれども、過失そのものは法律関係の発生変更消滅の要件事実の一であるに過ぎずそれ自体が権利義務その他法律関係を成すものではない。或る人に過失ありや否やが争われているときは、その争は過失に基く具体的法律関係の存否の争の前提問題として争われるのであつて、その具体的法律関係から離れて独立に過失の存否だけを争うことは、もはや権利義務その他法律関係の紛争ということはできないから、司法裁判の対象となる法律上の紛争には当らない。一般の民事訴訟においても、故意過失の存否だけを切離して独立の訴訟の対象とすることは認められないし、係属中の訴訟において故意過失が争となつているときこれを中間判決の対象として裁判をすることも行われていない。これらの点から考えても、過失が法律上の概念であるということから直ちに過失の有無の紛争は司法裁判の対象たる法律上の争訟であるという結論を引き出すことは無理である。

六、審判における争訟手続の構造との関係

海難審判の手続が対審による争訟手続の構造をとつていることは関係法令上明らかであるが、手続が対審争訟の構造をとつているということは審査の正確と能率を期する上においてそれが最も適当とされているからである。見解の分れ得る問題について相対する反対意見をそれぞれの者に代表させて互に弁論をなさしめその結果に基いて第三者的立場に立つ者が結論を下すという審査方式は人類社会が考案した優れた手段の一であつて、訴訟手続においても採用されているけれども、それはあくまで審査の方式に過ぎず、この方法によることは訴訟のみに限定されるべき必然性はない。そして海難審判の手続がこの対審争訟の構造をとつているということは、審査手続の慎重なことを示すものではあつても、その裁決に対し司法裁判所に出訴できるか否かの問題とはかかわりがない。

七、以上のとおり海難審判における原因裁決は、権利義務その他法律関係になんらの変動をも及ぼすものでないから、司法裁判の対象たる法律上の争訟に該当せず、解釈上もこれに対する出訴の可能性を肯定する余地なく、又これに対して出訴を許す旨の特別の立法措置もない。原因裁決の本質が以上に述べたとおりである以上、仮にこれに対し司法裁判所に出訴を認めることとしても、その訴訟の判決の既判力は原裁決の当否を確定するに止まり、民事刑事の法律上の責任を左右する効力はなく、いかに本案の審理を尽して過失等を肯定又は否定する判決をしても、その過失等に基く法律上の責任を問題とする民事刑事の訴訟においては、更に過失等の有無について改めて審理を重ねなければならないのであつて、原因裁決に対し出訴を認めて裁判所の判決を得ることは、その判決中の故意過失の判断について既判力を認めるような特別の立法措置(かような立法措置の可否はそれ自体甚しく疑問であり、今直ちにこれを可とすることはできない。)を伴わない限り、民事刑事の裁判をなすにつきなんら加えるところなく、徒らに無用の手続を重ね益なきものといえよう。もし海難審判庁の原因裁決の結果自己の過失を肯定されたことを不当とし、その結果第三者より損害賠償等の請求を受ける虞があつて自己の法律上の地位が危殆に頻していることを主張する者があれば、敢て原因裁決に対する出訴の途をとるまでもなく直ちに司法裁判所に債務不存在確認の訴を起すのが救済として端的直截であり、かような訴を提起できるほど法律上の地位に危殆を生じていない者については、司法裁判所に救済を求める途がないとしてもあながち不当とはいえない。海難の原因を探究し将来におけるその発生を防止するためには、現行の海難審判法のとつた対審争訟の構造による二審制審査方式は慎重周到であつて、適切に運用される限り充分その使命に堪えるものであり、海難発生の防止という見地から見れば、関係者の権利義務そのものに直接の変動を生じない原因裁決に対して更に司法裁判所に出訴を認めるまでの必要はないものといえるのであり、海難審判法が原因裁決に対して特に出訴の途を設けなかつたことはその理由があるものと解せられる。

以上の次第で高等海難審判庁の原因裁決に対しては、司法裁判所にその取消の訴を提起することができない。本件裁決は、その主文から明らかなように、懲戒を命じたものではなく、本件海難の原因が船長の過失と船体構造及び運航管理が適当でなかつたことによることを主文で宣言した原因裁決に過ぎないから、その取消を求める本件訴は不適法として却下すべきである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長判事 川喜多正時 判事 小沢文雄 判事 位野木益雄)

訴状

<省略>

二、請求の原因

第一、昭和二十九年九月二十六日、北海道函館港において発生した原告日本国有鉄道(以下国鉄と略称する)所有汽船洞爺丸の遭難事件につき、高等海難審判庁は、昭和三十四年二月九日請求の趣旨記載のような主文の裁決を言渡した。

原告国鉄は前記のように汽船洞爺丸の船舶所有者であつて同船を青森、函館間の定期連絡船として使用していた者であり、原告国鉄総裁十河信二は本件審判の指定海難関係人に指定せられた者である。

第二、本件裁決は以下にのべるように違法な裁決である。

一、先ず本件裁決のいうところを要約すれば、

(イ) 洞爺丸が船尾にしや浪設備のない大開口を有し他にも多数の開口があつて防水不十分の特殊構造の船舶であり、又、当時すでに台風十五号の函館地方来襲が気象官署から警報や情報として発表せられており、且つ同地その他の風向、風速、気圧示度等によつて台風が通過し去つたと認められない情況であつたのであるから、同船長亡近藤平市としては船舶や人命の安全を確保するため出航を見合わせ待機すべき注意義務があるにかかわらず、これを欠き青森に向け出航したため本件事故を惹起したものである。

(ロ) 本件海難の直接の原因は防波堤外において暴風及び高浪のため操船困難となり、風浪に立てて投錨中、風浪による動揺と振れ回りのため船尾の大開口から波浪が侵入甲板上に滞留し、諸開口を通じて浸水、諸機関の停止と共に操船の自由を失い、排水能力の低下により漸次復原力を喪失し、後部船底の底触により風浪を側方より受けるようになつて横転沈没するに至つたものである。

(ハ) 前記のように本船は船尾その他に多くの開口を有しており、又その他の点においても荒天に際し海水の侵入を防止しえない特殊な構造のものであるが、定期の連絡船として荒天の場合でも、可能な限り一定のダイヤによる運航が要請されるというその運航の実情に鑑み、右のような船体構造は不適当であり、この点は本件遭難の一因をなすものである。

(ニ) 連絡船の運航を管理する国鉄、直接には青函鉄道管理局(以下青函局と略称する)の管理機構及び方針がその安全運航はすべて船長に委ねれば足るものとし、前記のような運航の実情との関連における船体構造上の欠陥を看過し、荒天等の場合の対策の必要性を認識せず、本件の具体的場合においては船長に対し荒天下の出航に対する何らの援助協力をも行わなかつたこと、換言すれば国鉄の運航管理の不適当であつたことが本件海難発生の一因をなす。

というに在る。

二、本件裁決は右のような判断をなすに当つて重大な事実認定上の誤りを犯し、且つ海難審判法等の規定や一般法理念の解釈適用を誤つたため、前記主文にいうような全く誤つた結論に到達したものであつて違法の裁決といわなければならない。その違法な所以についての詳細に亘る主張は追て準備書面をもつて補充するが、今茲にその概要をのべれば左のとおりである。

(イ) 前記第二の一の(イ)の船長の出航判断について。

本件裁決のこの点に関する判断は、これを一言にしていえば船長に結果的責任を帰せしめようとするものに外ならない。本件遭難は、本船が防波堤外に錨泊中、函館地方に達するまでは時速一一〇キロメートルという大きい速度をもって進行して来た台風十五号が同地方において急に速度を減じ而も中心示度が低下したことによつて南西の強風が長時間吹き荒んだため生じたものであるが、出港当時の気象官署の警報、予報は固より、他の一切の気象関係資料についてみても台風の右のような急激な速度の減少や中心示度の低下を報じたものは唯の一つもなかつたのである。最新の而も最も信頼さるべき情報である午後六時二十分発表の船舶通報は、同日午後三時現在のものとして、「台風警報、台風マリー、九百六十八、日本海、北緯四十度九、東経百三十九度、北東五十五ノツト(一一〇キロメートルに当る)極めて早い、云々」とつたえている。午後五時放送の中央気象台の台風情報も「午後三時現在台風が函館の南西百五十キロの海上にあり、毎時百十キロの速さで北東に進んでいます」といつている。そして函館地方ではこれらの情報と符節を合わせて午後五時過ぎには風がなぎ一時雨も止み青空が出て夕焼になつた。その直後から風向は南東から南に変化した。従つてこれらの状況からして当時の函館在港の他の船の船長も異口同音に午後五時すぎ台風眼が函館を通過したものと思い、その後時余を出ですして風浪はおさまると考えた旨を証言しているのである。このことは気象予報官や気象課長、台長など函館海洋気象台の関係者その他の専門家も全く同様であり、台風の速度低下や中心示度の低下を予想した者は固より、当時これを認識した者が一人でもあつたという資料は全く存在しない。

しかるに本件裁決の趣旨はこのように何人にも予想し又認識しえなかつた台風の速度の異常な減少と中心示度の予想しえない低下とその結果としての南西の風の強吹連吹を近藤船長にだけはこれを予想すべきであつたとし、又注意すれば予想しえた筈であるとするのである。本件裁決が右の判断をなすに当つて援用する、唯一の放送である午後五時五十九分四十秒のラジオ放達「台風は今江差の西方百キロの海上を北東又は北々東に向つています」という、極めて漠然たる、一般素人向けの放送(註)が、たまたま後日判明した台風の速度低下の事実とやや府合するものであつたとしても他の多数の十分旦つ正確に表示された権威ある気象関係の諸情報(速度や中心示度の急激な低下を報じていない)をすてて右の放送を重視すべきであつたとするのは全く合理性のない、恣意的な証拠の取捨であつて証拠判断に関する一般法理を無視し、その結果として本件事故が船長の気象判断に関する過失に因るものとする致命的な誤謬に陥入つたものであることは疑いない。(なおその他本件裁決が援用する他の資料についての反ばくは追つて補充する。)いわんや近藤船長は本件に至るまで航海歴三十年、船長としてのみでも十七年ほとんど本件航路の航海に終始しその間一回の事故もなく、本航路については勿論船長としてもわが国有数の権威者であつたのであるから、その判断が慎重且つ正確であつたことはこのことのみからいつても容易に判断しうるところである。

(註)この放送は午後三時五九分四〇秒の「台風一五号は夕刻までには渡島半島に上陸するか、又は極めて接近して通り、今夜半頃までに千島方面又はオホーツク海南部に去る可能性が強くなつています」旨の放送、午後四時五九分四〇秒の「台風はあと一時間位で渡島半島西部に上陸し本道北部に向つて縦断するか、又は日本海沿岸を北上する可能性があります」旨の放送につづくものであるが、これら一連の放送内容をみてもその位置は極めて漠然としていて、それが一般大衆向きの情報であり、船長がこれによつて台風の正確な位置を知る判断資料としては殆ど価値のないものであるが少くとも高々参考とする程度にしかすぎないものであることが一読明瞭であろう。

このように船長が台風の速度の減少と中心示度の低下に基ずく南西風の強連吹の危険性を認識しえなかつたことは誠に当然であつて何らその過失と見られるべきではないのであるから、又当然に本件裁決のように船長としてかかる荒天下に出航するについては本船の船体構造に不備があることを注意すべきであつたという所論が全く理由がないことは多言を要しないであろう。なお、船尾開口部より海水が侵入して甲板上に滞留するという現象は本件が起るまで何人にも学理上も経験上も予想しえなかつたところであることは証拠上明らかであるから、この点からも本件裁決の所論の当らないことは明瞭である。実際、本件事故に至るまで青函連絡船には一回の事故もなかつたのであり、本件が全く何人にも予想し得ない異常台風のなせる業であることは一点の疑いを容れない。

本件裁決は又、防波堤内に止まつた他の船は損傷はなかつたとか、防波堤外は地勢上南西の強風の連吹の際は高浪のため最悪の錨地となるとかいつて、恰も近藤船長が防波堤外に出なければ本件海難は起らなかつたといわんとするようである。しかしながら、洞爺丸をも含めて防波堤外に避泊したすべての大型船が仮りに防波堤内にいたとして全く安全であつたという資料は全くない、否却つて若し防波堤内にいたとしても重大な危険に遭遇したであろうと相像される資料は数多くある。のみならず前記のように防波堤外で南西風が連吹且つ強吹することは何人にも予想しえなかつたところであるから、本件裁決のいうところはいずれも結果論、仮定論であり、海難審判法にいう証拠による事故の認定とは甚だ程遠いものである。なお、船長の出航と本件海難発生との因果関係の存否、その中断に関する原告等の主張は別にこれを述べる(後述第三)。

(ロ) 前記第二の一の(ロ)の本件海難の直接の原因について。

本件沈没の直接の原因が本件裁決のいうように浸水による復原力の喪失によるものとすることは適法な証拠判断に基ずかない違法な認定である。

この点に関して本件裁決の援用する証拠は一言これを掩えば一部乗組員や乗客の極めて限られた狭い範囲の経験にすぎなく、到底沈没の真の原因を明らかにするようなものではない。これに反して、その直接の原因が復原力喪失によるものではなく、坐洲の際右舷側ビルヂキールが海底にささり、このため風力と波浪の力で横転するという何人も予想しえない偶然事にあつたことは引掲後の船体の調査、鑑定書その他の客観的な資料によつて的確に認定しうるところである。この点は海難の原因を明らかにするという海難審判法の目的からいつても本裁判において匡正せられなければならない重大な本件裁決の誤謬であるばかりでなく、後述のように船長の出航と本件海難との間の因果関係を検討する際の重要な因子となるものであつて、到底看過し難い事実の誤謬である。

(ハ) 前記第二の一の(ハ)の船体構造について。

本件裁決が本船の構造の不備としていうところが誤りであることは後記飛鸞丸の経験に鑑み開口部を改良してから本件海難に至るまでの間二十年青函連絡航路において船尾開口部よりの海水の浸入、その滞留、諸開口からの浸水に基ずく事故は固より、その他の原因によるものとしても唯一回の事故もなかつたという明白な事実を指摘すれば十分であろう。それは右のような構造が右航路に使用する船舶の構造として適当であり、又反面本件海難が予想し難い異常な台風によつて不可抗力的に惹起せしめられた真相を物語るものである。前述したように右のような海水の浸入、滞留は、経験上も学理上も何人も予想し得なかつたものであることは資料によつて明らかであり、又、本件裁決のいう飛鸞丸、石狩丸の経験は、航行中たまたま船尾開口部を風浪に向けたとき生じた事態であつてその情況が船を風浪に向けたとき生じた事態であつてその情況が船を風浪に立てて錨泊中であつた洞爺丸の場合とは根本的に異なつており本件の資料とするに足りないものである。本件裁決が本件海難の結果の重大なことにのみ眼を奪われ、その真の原因が何人にも予想し難い、不可抗力であることを認識し得ず、このような場合にもなおその原因を何人かの行為又は不行為に帰せしめようとする結果論の誤謬を犯していることは明らかである。その結果として船体構造の欠陥とか、運航方針がダイヤ確保に偏するとかの事実を挙げて本件海難の一因としようとするものであるが、このような不可抗力的な災害にまで堪えうるような船体構造というのはそれ自身矛盾である。

(ニ) 前記第二の一の(ニ)の管理方針等について。

本件裁決のこの点に関する見解は先ず、船長に法が強力な権限を付与した精神と矛盾するものであることに注目しなければならない。船員法によれば船長は海員を指揮監督し、船内にある者に対し必要な命令をする権限を与えられ、発航前の検査、準備完了後の遅滞なき発航、予定航路不変更の各義務を負い、在船して船舶、人命の安全を確保する最高の責任者であり、必要な場合には海員を懲戒する権限その他の公法上の権限迄も有するのである。このように船長に重大な地位を認めた法の趣旨が航海に関しては一切を船長に任ねることが、船舶航行の安全を図る上で最も有効妥当であり、本件裁決が言外にいわんとするように何等かの外部の介入を容認することこそ却つて航海の安全に対し有害であるとするにあること一点の疑いを容れない。この点だけからいつても本件裁決が本件海難の一因として運航管理の不適当を云々するのは法の趣旨に反するものであつて到底容認すべからざることはいうまでもない。のみならず、国鉄本庁又は青函局においては船長に対する気象条件その他航海上必要な資料の作成と供給、(例えば鉄道気象通報、大間崎、竜飛崎の観測資料、函館、有川、青森各棧橋の観測資料等の入手、提供等)それら諸情報の受信設備の船舶安全法等の定める基準をはるかに上回る充実等に十分の配慮をしていたのである。にも拘わらず本件裁決は管理部門船長に対し援助協力をしなかつたといつて、そこに本件海難の一因を認めるのであるが、如何なる具体的な援助協力行為の欠缺をもつて本件海難の原因であるとするのか殆んど理解に苦しまざるを得ないのである。本件裁決のいうところはその実質において高々もう一層船長に対する管理部門の援助協力の態勢を強化すべきであるという抽象的な意見の表示としか読取れないものであるが、そうだとすればそれが洞爺丸の遭難という具体的な本件海難の原因の一つであるとする本件裁決の主文はその実体内容と全く合致しないものであり、当該海難の具体的な原因を明らかにすることによつて将来に資するという海難審判法の目的からいつてこのような結論は海難審判庁の権限を著しく逸脱するものという外はない。同法のいう原因の探究はあくまでも法的な因果関係の探究を指すものであることは明らかで一般世俗の不正確な原因論議のいう如き法以前のそれであつてはならないのである。もしそれ裁決の論ずるすでに海難が発生した後の管理部門職員の行為の如きにいたつては本件海難と何ら因果関係のないこと全然論する必要を見ない。

第三、船長の出航判断と本件海難の因果関係について。

海難審判法が「海難の原因を明らかに」する(第一条)といい、特に「人の故意又は過失に因つて発生したものであるかどうか」(第三条)を探究するという場合、その原因と結果との間の因果関係は民事、刑事その他の法律関係において因果関係に関する一般論として広くみとめられている、いわゆる相当因果関係と同様に解するのが正当であると考えられる。而してすでに述べたように本件出航当時洞爺丸船長が台風の速度の減少と中心示度の低下によつて函館港防波堤外において南西風の連吹ならびに強吹の発生を予想することができず、又、これを予想しなかつたことについて何ら過失のないことは明らかであるが、更に出航より本件海難の発生までの推移において因果関係の否定乃至中断とみるべき点があることを指摘したい。先にもふれたように洞爺丸船長が船を風浪に立てて錨泊中、強風による波浪が船尾開口部より奔入し、剰え車輌甲板上に滞留するというような現象が認めて稀な一定条件の下においてであつても起りうるということは学理上も経験上も何人も予想しえなかつたところである。ところが南西強風の連吹によつて実験室において作出する一定の条件下にのみ辛うじて生起しうるようなたぐい稀れな波浪が発生し、これによつて、船尾開口部よりの海水の浸入、滞留の現象が生じえたものであることは明瞭である。これに加えて不幸にも先にも述べたように坐洲の際、ビルヂキールが海底につきささるという、これ又何人にも予期し難い偶発事故の介在によつて横転沈没の結果が生じたものである。以上の事実に徴すれば船長の出航と本件海難との間にはいわゆる相当因果関係が存しないものと解すべきは当然であり、又、右のような風浪の特異性、坐洲の際の偶然事の発生によつて因果関係が中断したものと解することもできる。いずれにせよ本件裁決のいうように船長の出航と本件海難の発生との間にたやすく因果関係の存在を認定することは同法の解釈を誤つた違法があること一点の疑いを容れない。

本件裁決の違法なことは以上に略述したとおりであり、なお前述のようにその詳細な解明、補充は追て準備書面をもつて主張したいが、茲に本件裁決の取消を求める本訴に及ぶ次第である。

答弁書

<省略>

理由

本訴は、被告が昭和三十四年二月九日汽船洞爺丸遭難事件についてした「本件遭難は、洞爺丸船長の運航に関する職務上の過失に基因して発生したものであるが、本船の船体構造及び青函連絡船の運行管理が適当でなかつたこともその一因である。」という主文の裁決の取消を求めるものであるが、右裁決は行政事件訴訟特例法(以下特例法という。)にいわゆる行政庁の処分ではないから、その取消を訴求する本訴は不適法である。

一、特例法にいわゆる行政庁の処分とは、公権力の主体としての国又は公共団体の機関である行政庁がその権力に服従すべき者に対して行う公法上の行為であつて、これによつてその権利義務に法律上の効果を及ぼすものをいう。ところで海難審判法(以下単に法という。)は、海難発生防止のため現に発生した海難につきその原因を明らかにすることを主たる目的とし、なおその結果海難の原因を作つたと認められる一定の者(受審人)がある場合にはその者を懲戒し、また海難の原因に関係があり勧告の必要があると認められる受審人以外の者(指定海難関係人)がある場合にはその者に勧告をすることを従たる目的としており(法第一条、第四条参照)、海難審判庁が法の規定にもとづいてする裁決には、右にいう行政庁の処分に該当するものと、これに該当しないものとがあることに注目しなければならない。即ち海難審判庁のなす裁決には次の数個の場合がある。

(イ) 本案前の裁決(法第四一条参照)

(ロ) 海難の事実が無かつたと認める裁決(法第四三条参照)

(ハ) 海難の事実を認めるが懲戒処分をしない裁決

(ニ) 海難の事実を認め、懲戒処分をする裁決

(ホ) 海難の事実を認め、勧告をする旨の裁決

右の(ハ)は、海難原因について取調を行いその結論を明らかにする法第四条第一項による裁決(以下原因解明裁決と称する。)(ニ)は、海技従事者又は水先人、即ち受審人(法第三四条参照)に対し法第四条第二項及び第五条により懲戒処分を行う裁決(以下懲戒裁決と称する。)、(ホ)は、海技従事者又は水先人以外の者で海難に関係あるもの、即ち指定海難関係人(法施行規則第二七条参照)に対して法第四条第三項により勧告する旨の裁決であつて、そのうち(ニ)の懲戒裁決があつたときは、その受審人に対しては、その者の権利義務につき法律効果を及ぼすことになるから、この裁決は特例法にいわゆる行政庁の処分に該当するものであるが、(ホ)の勧告裁決は、文字通り勧告裁決であつて、命令的要素を含むものではなく、法第六十三条が勧告を受けた者は勧告を尊重し、努めてその趣旨に従い必要な措置を執るべき旨を定めているとはいえ、それは単に訓示的なものであつて、何等法的拘束力を伴うものではないし、また(ハ)の原因解明裁決は、海難原因取調の結果即ち海難の事実の認定又は発生原因に対する意見の公表にとどまり、その意見ないし認定は単に将来の海難防止という公益的な目的から、警告的な意味において公表されるものに過ぎないものであつて、何等の法的拘束力を有するものではないから、これらの裁決はいずれも特例法による取消の訴の対象となる行政処分には当らないのである。

二、本件裁決は(ハ)の原因解明裁決である。原告等はこれによつて原告等の権利義務に法律上の効果を及ぼすものであるとの前提に立つて本訴を提起されているようであるが、しかし、高等海難審判庁のしたこの場合の裁決は、法の目的である船舶の安全、海難防止という公益的見地からなされるものであつて、海難関係者の民事上あるいは刑事上の責任追求の見地から行われるものではない。海難審判庁が海難審判において、その原因を明らかにする際必ず考慮しなければならぬ最少限の事項は、法第三条に列挙せられているが、その事項は「人の故意又は過失に因つて発生したものであるかどうか。」に限られないのであつて、その他についてもそれが海難原因をなすものかどうかを探究しなければならないものとされており、また、海難原因探究について考慮することができる事項は法第三条に列挙された事項に限られないのである。それは専ら海難防止の見地から一切の事情を考慮してなされるものであつて、海難関係者の責任追求の見地から行われるものではない。原因解明裁決において人の過失を判断する場合も、それは主として海難防止の見地から海上技術や造船技術の水準に徴して、関係者の能力や技術に欠陥があるかどうか、関係者の行為が妥当かどうか、それ等が将来の海難防止のため好ましからぬものであるかどうかが調査判定されるのであつて、関係者の行為に対し法律的価値判断を下しまたは法律的責任を問うためになされるものではないから、その判断は、何等民事又は刑事上の法律効果を伴うものではない。従つて海難審判庁が海難事件を審理した結果同条各号に掲げる事項その他の事項についてそれらが海難発生の原因をなしたとの結論に達したときは、裁決においてその旨を明らかにするのは当然のことであり、その認定はあくまで海難の発生原因に対する海難防止上の法目的達成のための海難審判庁の事実判断ないし意見の公表であり、その認定ないし意見は、裁決が確定した場合に重ねて同一事件につき審判ができないという審判手続上の効果があるほか何人に対しても法律効果を及ぼすことはない。

三、法第四十六条は地方海難審判庁の裁決に対して高等海難審判庁に第二審の請求をすることのできる者は、理事官以外は受審人及びその選任した補佐人に限つており、第一審の勧告裁決や原因解明裁決について、事実上の利害関係を有する指定海難関係人や第三者であつても、これに固有の第二審請求権を認めず、しかも法第五十三条第四項が第一審の裁決に対する訴は許されないとしており、又勧告裁決について、法施行規則第七十七条が勧告を受けた指定海難関係人は裁決言渡の日から一ケ月以内に理事官に弁明書を提出できることとし、理事官はその者の請求によりその弁明書を、勧告を公示したと同じ公示方法で公示させ、最後的には、その当否を双方に対する世論の判定に委ねるような措置をとつているが、それは地方海難審判庁の裁決であつても、指定海難関係人の権利又は法律上の地位に何等の法的効果を及ぼさない原因解明裁決や勧告裁決に対しては二審請求を認める必要もなく、また直接訴を提起することを認める必要も存しないと考えたためであつて、結局海難審判庁の裁決で訴の対象となるのは第二審で受審人が懲戒裁決を受けた場合にその裁決に限られるのであつて、このことからしても本件のような原因解明裁決は抗告訴訟の対象となる行政処分には当らないというべきである。

要するに本件裁決の取消を訴求する本訴は、特例法にいわゆる行政庁の処分に該当しないものの取消を求めるものであつて、不適法として却下さるべきである。

昭和三十四年七月十日附原告等準備書面

一、海難審判法によれば、同法第二条に定める海難が発生したとき海難審判庁は、海難の原因について取調を行い、裁決を以てその結論を明かにすべきものとせられている(同法第四条)。而して右の目的を達するために法が採用した方法は、海難の原因に関して一つの争訟を形成し、対審、裁決によることである。すなわち、独立して職権を行う審判官によつて両当事者をして公開の審判廷における口頭弁論において事実上、法律上の主張と証拠方法を提出させ、証拠調を行い、これらの証拠に基ずいて自由な心証によつて事実を認定し、理由を附した裁決によつて結論を明らかにすべきものとせられている。このように争訟の形成、対審、裁決の手続による、海難審判庁の審判が、例えば、当該海難につき、運輸大臣が職務上その原因の調査を行い、その結論を明らかにする場合とか、或いは運輸関係官庁その他に海難原因の究明を目的とする委員会等を設けて調査しその結論を明らかにする場合等とは、たとい目的は同様であつても法律上その性格を全く異にするものであることに明らかであると謂わなければならない。

ひるがえつて右の争訟の性質を考えてみるとそこには二つの場合が想定せられる。その一つは全く法的判断を交えない純粋に事実的な問題に終始する審判の場合である。例えば全く偶然の天災によるものとされるような場合がこれに当る。今一つの場合は法的判断を加えて、或いは法律的にその責任を追及する性格の審判の場合である。例えば海技従事者、水先人又はその他の者の故意、過失に因つたものとして審判を行う如き場合がその典型である。同法第四条第二項にいう海技従事者等の「職務上の故意又は過失」が法律上の概念であることは全く何人にも疑いのない処である(そうであるからこそ、これに対し懲戒という法律上の処置が採られるのである)から、これとの対比上、同法第三条第一号にいう「人の故意又は過失」も亦当然に法律上の概念であることは多言を要しない。従つて、海難が海技従事者、水先人のみならずその他の者すなわち、広く人の故意、過失によるものとして審判せられる場合、そこで争われ、立証され、認定せられ、裁決せられる審判の対象が法律上の関係であり、裁決が法的判断であることは極めて明らかである。この点について被告が、いわゆる原因解明裁決の場合は人の故意過失を判断してもそれは事実問題であつて法的価値判断を下すものでないとの趣旨を主張せちれるのは当を得ないものである。従つてこのような法律的判断を行う審判の場合、そこに形成せられる前述の「争訟」が「法律上の争訟」であることは何人にも疑を容れないであろう。

二、さて、以上のような立論の上に立つて、具体的な、本件審判がいかなる性格のものであるかを検討してみよう。先づ海難審判法に定められる海難審判庁の裁決の中には被告の指摘する数個の場合のあることはそのとおりであろう。否正確にはその「(ハ)海難の事実を認めるが懲戒処分をしない裁決」とある、いわゆる原因解明裁決については、更に「海難の事実を認めるが勧告をしない裁決」を区分乃至は追加すべきであると思う。而して、本件の場合が主文の表現からいつて右にいう「海難の事実を認めるが懲戒処分及び勧告をしない裁決」としていわゆる原因解明裁決であることは原告らとしてもこれを認める。しかしながら本件裁決が洞爺丸の海難をもつて人の過失によるもの、すなわち天災その他人事の及びえない原因に基ずくものでないとしたことについては何人の眼にも明らかな処であろう。本件裁決がその実質において何人の過失によるものとしたのであるかは、後にのべるが、いずれにせよ、本件審判は理事官の申立自体においてすでに天災にあらず人災であるとの見地から審判に付され、一審、二審を通じて争われ、第二審裁決も右のように人の過失によるものとの判断を下したものであるから、その審判が、このような法律上の争訟についてなされたものであり、決して単なる事実的性格のものでなかつたことは誠に明白である。

三、ここで、本件裁決の主文の意味するところについて更に一言したい。

本件裁決の主文は、その前半において、本件海難が「洞爺丸船長の運航に関する職務上の過失に基因」するといい、その後半において、「本船の船体構造及び青函連絡船の運航管理が適当でなかつたこともその一因である」という。先づその前半が、海技従事者である亡近藤船長の職務上の過失によるものであるという法律的判断を下したものであることは多言を用いる迄もないであろう。若し近藤船長が存命していれば、同法第四条第二項によつて必ず同船長に対し懲戒という法的措置(行政処分)を行つたであろうことはいうまでもないから、その前提としての本件裁決にいう「職務上の過失」が法的判断であることは些の疑いもなく、たまたま同船長が死亡したがために、この判断が法的なものでなく、事実的なものに変ずるものとは到底考えることができない。又、その後半についても、そのいわゆる船体構造、運航管理の不適当をもつて天災としたものでなく、責任者の過失であるとし、本来ならばこれにその改善を勧告すべきものであるが、すでにその実を挙げているので敢えて勧告の必要を認めないという趣旨であること本件裁決の理由によつて明白である。ところでいわゆる勧告が、被告の主張せられるように単なる訓示的性格のものと断するのが果して正当であろうか。否、むしろ同法第六十三条は勧告を受けた者に対し、これを尊重し、努めてその趣旨に従い必要な措置をとるべき法的義務を課したものと解しなければならない。その履行を強制する方法が定められていないからといつて単なる道徳的義務と解すべきではない。もしそう解すべきものというのならば同法第六十二条が勧告裁決の執行の概念を定め、その方法をも規定していることを如何に理解すべきであろうか。以上のようにみてくれば、勧告も亦一の法的性格を有するものであることは明らかである。なお、いわゆる勧告の中にも、関係者の責任を否定しつつ、なお好意的に勧告する場合と、その責任を認め、その非を改めさせる意味において改善を勧告する場合とが考えられるが、後者の場合は特にそれが人の過失の認定を前提とするものであり、その法的判断としての性格を一層明白に具有するものと考えられるのであるが、本件裁決主文の後半も亦この後者の場合に該当するものであるからその法的判断たる性質のものであること疑をいれない。

四、さて、このように海難審判庁が、海難の原因を人の過失に基因するものであるとの法的判断を下した場合、これによつて不利益を蒙むる者の法的地位はどうであろうか。すでに貴庁判例も説示せられるように海難審判庁が、海難の原因を究明する我国における唯一の官庁であり、審判官にも権威ある者が任命せられ、その手続も裁判とその実質を同じくするものであり、二審制という慎重な手続によつてなされ、一事不再理の原則が適用されるのであるから、高等海難審判庁の裁決は権威あるものと考えられる。従つてその裁決によつて関係者の蒙むる不利益は、たとえ裁決に既判力がないからといつて、単なる事実上の不利益と断定するには余りに重大であり、これを法律上の不利益と認めるのが妥当である(東京高等裁判所昭和二七年一二月一六日第一特別部判決参照)。

以上のように考えると、本件の場合、それが法律上の争訟について高等海難審判庁が下した法的判断であるから、これによつて不利益を蒙るべき者から、司法裁判所へ出訴することを得べきことは、その審判の実質に鑑み、憲法第三十二条、第七十六条、裁判所法第三条第一、二項の規定からいつて当然であり、且つ又、その趣旨をもつて海難審判法第五十三条の規定が設けられたものと解せられるのである。

被告は右海難審判法に定める司法裁判所への出訴をもつて行政事件訴訟特例法中いわゆる抗告訴訟に関する規定の適用を受けるものと前提して論ぜられるのであるが、若しその前提が正しいものとしても、前記のように憲法や裁判所法に基ずく至上の要請に応ずるためにはたとい、いわゆる原因解明裁決であつても、これを行政庁の確認的、公証的処分としていわゆる抗告訴訟の対象となりうるものと解せざるを得ざるべきものである。この点につき原告らとしては、海難審判法第五十三条の訴は、必ずしも特例法そのままの適用を受くべきものとは考えない。同条の訴は同法が海難原因の究明を一半の目的として、その目的を最も有効に達成するため前記のように争訟の形成、対審、裁決の方法を採用したことから、前記憲法上の要請をみたすため特設した規定と解するのである。同法第五十三条第四項は実質上、訴願前置主義(特例法第二条)を宣明した規定であり、第五十五条は特例法第一〇条とほとんど重複する規定であり、又、海難審判法は特例法の施行(昭和二十三年七月一日公布、同月十五日施行)に先立ち施行(昭和二十二年十一月十九日公布、昭和二十三年二月二十九日施行)せられ、この両法の関係を調整する別段の法的措置もとられていない点からも右の解釈を裏付けうるものと信ずる。従つて被告の主張はあまりに特例法に即しすぎ、ために海難審判法による審判裁決の実質、その一般国民の利害に与える重大な影響や、これに対する司法的救済の必要性を看過するものであると思う。

五、つずいて海難審判法第五十三条の訴の原告の適格について一言いたしたい。同法が前述のように対審、裁決の手続を法定するからには、海難の原因がその者の故意、過失に基ずくものとせられる見込のある者、換言すれば、懲戒処分を受ける虞れのある海技従事者や水先人のみならず、勧告を受ける見込のある関係者等を一般裁判における被告の地位に立させ、審判の当事者として、これに関与せしめることが法の当然予定するところでなければならない。同法は、当事者として一方に理事官を、その相手方に受審人を対置しているのであるが、右の理由からこの受審人とはすなわち右にいう海技従事者のみならずその他の関係人であつて理事官の指定する者を含むものと解しなければならない。同法第三十四条も海技従事者らを必ず受審人とすることを定めたにすぎず、受審人をこれらの者に限る趣旨とは解せられない。従つて、海技従事者、水先人以外の者で申立書によつて審判の当事者とせられた者は、同法にいう受審人として口頭弁論に関与し、地方海難審判庁の裁決に対して高等海難審判庁に第二審の請求をする等の権利を有すると解しなければならない。けだし、そう解しなければ海技従事者や水先人が関与せずその他の関係人のみの関与する審判において一審裁決があつた場合に、これに不服な関係人が第二審の請求をなしえないこととなり、法が折角二審制度を設け慎重な手続を定めた趣旨を全く没却するに至るからである。海技従事者、水先人が関与していようとしていなかろうと、法が再度の海難審判手続をもつて原因を明らかにしようとする趣旨には何の変りもない筈であり、又、右の関係者が、一審の裁決に対し二審の請求もできず、しかも訴も提起できない(第五十三条第四項)というのでは全く前記憲法上の要請に背反することとなるであろう。

このように見てくると、同法第五十三条により二審の裁決に対し提訴しうる者の適格については少くとも同法にいう受審人すなわち、同法施行規則において定める受審人及び指定海難関係人を包含することは疑いの余地がないが、なお、前記憲法の規定の趣旨からいつて、形式上、受審人乃至指定海難関係人として表示せられた者でなくても、裁決において(少くとも裁決の主文において)その者の故意過失に基ずく等の法的判断を加えられ、そのために不利益を蒙る者はすべて出訴の適格があるものと解するのを妥当とする(前記貴庁判例参照)。

本件において前記裁決の主文を再び検討すれば、それがその実質において本件海難が原告日本国有鉄道の責任、すなわち船長の使用者としての責任及び船体構造不備の船舶を使用したり、運航管理に関する注意義務を尽さなかつた責任に基ずくものであることを断定したものであることは、その主文自体から直ちに明らかであるといわなければならない。従つて、指定海難関係人として申立書に記載された者が、形式の上では原告日本国有鉄道の総裁たる原告十河信二(最初その前任者長崎惣之助が指定され、更迭の際十河新総裁に変更せられたことからも以下の見解の正しいことが窺われる)や、青函船舶鉄道管理局長であつた高見忠雄であつても、その実質上の指定海難関係人が日本国有鉄道そのものであることはこれを容易に肯定することができる。そうだとすれば原告日本国有鉄道は指定海難関係人(同法上は受審人)たる地位においても、又、一歩をゆずつて前記判例による第三者たる立場においても本訴を提起する適格を有することは明らかである。又、若し原告日本国有鉄道が形式上指定海難関係人として本件裁決に表示せられていないとの理由で指定海難関係人としては本訴提起の適格がみとめられないとすれば、指定海難関係人として表示せられている原告日本国有鉄道総裁十河信二にその適格があること勿論であり、若し原告日本国有鉄道に原告ら主張の如く指定海難関係人としての適格がみとめられるとすれば、原告十河信二はその適格を欠く如くであるけれども、一方において同原告は、総裁として日本国有鉄道の使用人やその部局の責任が云々される場合、その最高責任者として種々の法的責任を負担するものであるから(本件裁決がこの意味の責任を肯定する趣旨をも含むことはその主文自体から明白に観取せられる)同原告は指定海難関係人としてではなくても前記判例にいう法律上の不利益を蒙る第三者たる地位において本訴を提起する適格を有するものというべきである。以上を要するに原告両名は指定海難関係人たる地位においてであるか、或いは少くとも法律上の不利益を蒙る第三者としてか、いずれかの立場において原告たる適格があること明らかである。

本件裁決がその窮極において日本国有鉄道の法的責任の存在を肯定したものであることは何人にも明らかなところである。しかるに不幸にして船長が殉職した為、船長が受審人として司法裁判所の公正な判断に訴えることができない。又、裁決が勧告措置をも採らなかつたために、海難審判法施行規則第七十七条による弁明書の提出、公示の手段も存しない(このような細則的規定があるからといつて被告の主張せられるように憲法以下の法律の認める出訴権を否定する根拠となし得ないことはいうまでもないが)のである。従つて被告の主張せられる如くんは、原告らとしては、いかに本件裁決が事実に反する不合理なものであり、これを反証する確実な資料があつても、司法裁判所における救済はもとより行政的な弁明をもなしえない、いわば泣き寝入りをせよというに等しいこととなるであろう。そのような結果が、憲法以下の法令はいわずもかな、海難審判法そのものの目的、趣旨からいつても到底承服しえないものであることは何人にも疑なきところと信ずる。

昭和三十四年八月十四日附被告準備書面

被告は原告等の昭和三十四年七月十日附準備書面に対し次のとおり陳述する。

一、原告等は第一項第二段において、「法第四条第二項にいう海技従事者等の「職務上の故意又は過失」が法律上の概念であることは全く何人にも疑いのない処である(そうであるからこそ、これに対し懲戒という法律上の処置が採られるのである)から、これとの対比上法第三条第一号にいう「人の故意又は過失」も亦当然に法律上の概念であることは多言を要しない。従つて海難が海技従事者、水先人のみならず、その他の者、すなわち、広く人の故意、過失によるものとして審判せられる場合……審判の対象が法律上の関係であり、裁判が法的判断であることは極めて明らかである。この点について被告が、いわゆる原因解明裁決の場合は人の故意過失を判断していてもそれは事実問題であつて法的価値判断を下すものではないとの趣旨を主張せられるのは当を得ないものである。従つてこのような法律的判断を行う審判の場合、そこに形成せられる前述の争訟が法律上の争訟であることは何人にも疑を容れないであろう。」と主張される。

原告等のいわゆる法律上の概念とは何を意味するのか必ずしも明らかでない。が、それはさておき、法第四条第二項にいう海技従事者等の「職務上の故意又は過失」は海技従事者等に対して懲戒裁決をなすための一つの法律要件をなすものであるから、海技従事者等に対して懲戒裁決をなすためには海難が海技従事者等の職務上の故意又は過失に因ることが先ず判断されなければならないことは当然であるが、それが判断されただけでは単に一つの法律要件事実の判断がなされたにとどまり、その判断によつては何等の法的効果を生するものではなく、その判断の結果海技従事者等に対し懲戒裁決がなされた場合に始めて懲戒という法的効果が発生するに過ぎない。従つて懲戒裁決がなされて初めて行政訴訟の対象たる行政処分がなされたことになるのである。一方、法第三条第一号の「人の故意又は過失」の場合は、その判断自体によつて何等の法的効果を生ずるものでないことは前同様であるのみならず、この場合には前記の場合と異り一定の法的効果を発生させるための一の法律要件にすら該当しないのであるから、その判断が行政訴訟の対象たり得ないことはより一層明確といわなければならない。原告等主張のように両者を均しく「法律上の概念」と規定し、そのことから直ちにこれを「法律上の関係」「法的判断」とし「法律上の争訟」と断定することはその前提とされるところにおいても、またその論理の運びにおいても、被告として到底納得し得るところのものではない。

二、原告等は第三項において法第六十三条は勧告を受けた者に対しこれを尊重し、努めてその趣旨に従い必要な措置をとるべき法的義務を課したものと解しなければならないとし、その根拠として法第六十二条が勧告裁決の執行の概念を定め、その方法をも規定していると述べ、さらにいわゆる勧告の中にも関係者の責任を否定しつつなお好意的に勧告する場合とその責任を認め、その非を改めさせる意味において改善を勧告する場合の二つの場合があり、後者の場合は特にそれが人の過失の認定を前提とするものであり、その法的判断としての性格を一層明白に具有するものであると主張される。

いわゆる勧告の中には、人の故意過失の認定をしてこれを改めさせる意味の勧告をなす場合とこれを認定することなしに、好意的に勧告をなす場合との両者があり得ることは原告等主張のとおりであろう。ところで法第六十三条は勧告を受けた者においてその勧告を尊重し、努めてその趣旨に従い必要な措置を執らなければならない旨を規定しているが、原告等主張のように、もし本条が勧告を受けた者に対して法的義務を一般的に課したものとすれば、原告等の挙げられる前者の場合、すなわち、関係者の責任を否定しつつ、なお好意的に勧告する場合における勧告を受けた者もこれによつてその趣旨に従い必要な措置をとるべき法的義務を負担するに至るのであろうか。被告は、人の故意過失の認定に基いてなされたか否かを問わす、すべて勧告裁決はあくまで勧告する旨の裁決であり、これに基いてなされる勧告は、勧告を受ける者に対する下命ではなく、従つて、これを受けた者はこれによつて何等の法的義務を負担するものではないと考える。ただこの場合に勧告を受けた者が勧告に不服があるときは、弁明書を理事官に提出することができることとなつているが、これに対し理事官は単に請求によつてそれを勧告書と同様な方法によつて公示しなければならないものとされているに止まることからしても(法施行規則七七条)これを窺うに十分である。また被告は法第六十三条自体は、勧告裁決の執行の概念を定めたものでも、その方法を規定したものでもないと解するのである。

三、原告等は第四項第一段において海難審判庁が海難が人の過失に基因すると認定した場合、これによつて蒙る関係者の不利益はたとえ裁決に既判力がないからといつて単なる事実上の不利益と断定するには余りに重大であり、これを法律上の不利益と認めるのが妥当であると主張される。原告等は裁決において海難が人の過失に基因すると認定された場合その裁決によつて関係者が具体的に如何なる不利益を蒙るとされるのか明らかでない。それはともかくとして、行政訴訟の対象たり得べき行政庁の行為は、その行為によつてある法律的効果が生ずるものでなければならないのであつて、その法律的効果には単に事実上の不利益を生ずるに過ぎないものはこれに当らないし、また事実的不利益の大小によつてそれが右にいう法的効果となる筋合のものでないことも多く言うまでもないところと思う。

さらに原告等は被告の主張はあまりに特例法に即しすぎ、ために海難審判法による審判裁決の実質、その一般国民の利害に与える重大な影響、これに対する司法的救済等を看過するものであると批判し、さらに海難審判法第五十三条の規定によつて行政事件訴訟特例法の認める抗告訴訟とは別個の争訟の提起を認めているものと主張されるようであるが、法第五十三条は地方海難審判庁の裁決に対しては直接出訴することを認めず、高等海難審判庁の裁決に対してのみ訴訟を提起することを認めると同時に、その訴訟の管轄裁判所と出訴期間を定めたものであつて、それはただ行政事件訴訟特例法の抗告訴訟についてその点における特則を定めたものにすぎないのであり、その訴訟は行政事件訴訟特例法にいう抗告訴訟に外ならないのである。従つて高等海難審判庁の裁決についても、それが勧告裁決や原因解明裁決のように行政処分たる性質をもたないものについては、これに対し出訴することはできないのである。それというのは、かような裁決は何人にもこれによつて法律的不利益を齎らす性質のものではないのであるから、これに対し出訴の途を開く必然的要請は認められないし、またそれにもかかわらず行政事件訴訟特例法の予定する訴訟以外に特にこの場合に出訴の途を開いたものと法第五十三条の規定を解する条文上の根拠は見当らないからである。

法は地方海難審判庁の裁決に対して高等海難審判庁に第二審の請求をすることのできる者は理事官以外は受審人及びその選任した補佐人に限つており、第一審の勧告裁決や原因解明裁決について、事実上の利害関係を有する指定海難関係人や第三者であつても、これに固有の第二審請求権を認めず、しかも法第五十三条第四項が第一審の裁決に対する訴は許されないとしているのであるから、これらの者は第一審の裁決に対し出訴する途が認められておらないのであるが、もし法第五十三条が高等海難審判庁の裁決について、それが勧告裁決や原因解明裁決であつてもそれに対して出訴することを認めたものとすれば、同性質の裁決に対し取扱を異にすることになり、法制度としてきわめて首尾法とは別に特に争訟の提起を認めたものとする原告等の主張の理由がないことは明らかで一貫しない結果を来すことになる。このことからしても法第五十三条が行政事件訴訟特例ある。

四、原告等は第五項において、法にいわゆる受審人とは海技従事者のみならずその他の関係人であつて理事官の指定する者を含み、法第三十四条も海技従事者等を必ず受審人とすることを定めたにすぎず、受審人をこれらの者に限る趣旨とは解せられない。従つて海技従事者、水先人以外の者で申立書によつて審判の当事者とせられた者は法にいう受審人として口頭弁論に関与し地方海難審判庁の裁決に対し高等海難審判庁に第二審の請求をする等の権利を有するものと解しなければならぬと主張されるが、かような主張は失当である。

法第三十四条第一項は「海難が海技従事者又は水先人の職務上の故意又は過失に関して発生したものであると認めるときは、その者を前条第二項の書面に受審人として示さなければならない」と規定しているのであるから、法は海技従事者又は水先人以外の者が受審人となることを予定していないのであり、また法第四条第三項において海難審判庁は海技従事者又は水先人以外の者で海難の原因に関係のあるものに対し勧告する旨の裁決をすることができるものとし、法施行規則第二十七条によれば理事官は法第四条第三項によつて勧告の裁決を請求する必要があると認める者があるときはこれを指定海難関係人として指定しなければならないことになつているのであつて、海技従事者又は水先人以外の者は指定海難関係人になりうるだけであり、このことからしても受審人は海技従事者又は水先人に限られることは明かであり、またそのことは法施行規則第二十六条第二項に「……受審人があるときは、その者の氏名、当時の職名及び受有免状の種類を記載しなければならない」と定め、また同規則第三十条第三号に「受審人の氏名及び当時の職名並びに受有免状の種類」と定め、受審人は必らず海技免状、水先免状等を受有している者なるべきことを予定していることによつてみても明らかである。

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